『真夜中のミサ』E6、7

『真夜中のミサ』第6話

エリンはサラにあって相談する。若返った母や日光で燃える血液を目にしたサラは、エリンの話を信じる。キャラクターが結束していく流れが、劇的な芝居をせずとも、積み上げをきっちりしているのでスムーズにいく。

教会の聖杯で吸血鬼の血を徐々に飲ませ、「感染」させていくという設定が斬新。感染が強くまることで、肉体が若返る。それによって下半身不随の少女が歩けるようになったり、妊娠していたエリンから子供が消滅したりしたのだった。

エリンがライリーの死をライリーの母に伝える。ライリーの母の拒絶する芝居が生々しい。この拒絶が、最終話では反転する。

サラが保安官に相談するが、保安官は協力を拒否する。イスラム教徒であるだけで、白人からテロリスト扱いされる差別を受けてきた背景がつらい。べヴァリーから既に睨まれている保安官は、教会と対立するようなことはしたくない。分断社会では強い説得力がある。

エリン・サラが本土への脱出を試みるが、すでに教会サイドは船が運航できないようにしていた。今夜の復活祭で、吸血化する計画があるのだ。夜になると教会サイドは電源を落とし、携帯の基地局も破壊することを予定している。吸血鬼の存在があきらかになってから、ラストまで一気に展開するスピード感がよい。

保安官の息子アリが復活祭への出席を希望する。保安官の「なんでだよ」という苦しみがヒリヒリ伝わる。

復活祭で、若返ったことを明かし、法衣を着た吸血鬼を見させる。さらに信者に毒を飲ませて、復活する過程を見せる。「奇跡」を目撃させることで、支配させる狡猾な作戦。

吸血鬼の血液を一定程度飲んだ人間は、死ぬと、蘇生して吸血鬼になる、というシステム。既存の吸血鬼の発展形として凄くいい。

一回死ぬ手段として、序盤に登場した「1080」という毒を使用するのもうまい。

保安官の息子アリが毒を飲んでしまう。ここはつらかった。

教会に集まった信者は毒を飲むことを受け入れる者と、躊躇する者に別れる。

サラの母は、吸血鬼に向かって銃弾を撃つ。この選択が最終的に神父を説得する展開に繋がっている。

毒を飲んで死んだ者は復活して、吸血鬼になり、他の信者に噛みつく。教会はカオスとなる。『キングスマン』を思い出した。

 

『真夜中のミサ』第7話

吸血鬼化した信者は村人を次々と襲う。第6話までじわじわ高めておいて、第7話は全編大混乱を描く。美しいグランドデザイン。

べヴァリーは家々に火を放つ。村の家をすべて焼くことで、高所に立地している教会を箱舟化しようとする発想。独善的で恐ろしい。

吸血鬼が血を吸っている際に夢中になり、撃たれたり切られたりしてもあまり気にしない。血への執着へとダメージへの鈍感さ。

神父が目的を明かす。神父はサラの母と不倫しており、サラは二人の子供だった。神父は認知症になってしまったサラの母を若返らせ、娘サラと共に生きることが目的だったのだ。信仰心や倫理よりも、愛が勝る。本作は本質的に物悲しいラブストーリーとなっている。『ホーンティング・オブ・ヒルハウス』とも共通するテイスト。

一回は対立したライリーの母がエリンを救う。

同じ宗教を信じないものを見下すべヴァリー。信仰心が薄かった者を箱舟となる教会に入ることを拒絶する。神父がべヴァリーに向かって、君たちこそ「オオカミだ」と言い放つところがアガった。

保安官の息子アリが、最終的にはべヴァリーに逆らって、寝床を燃やす。ここもアガった。保安官と息子は和解して、海辺で死を迎える。

彼女が徹底的な悪役として振舞うのもいい。吸血鬼化した信者たちは死を受け入れるが、べヴァリーは自分だけ助かろうとして、穴を掘る。

朝が訪れ、島民は陽を浴びて、死ぬ。朝焼けがとても美しい。天に召されるような感覚。場面が多いが、すべてちゃんと朝に撮ったのだろうか。グレーディングも丁寧にやったのだろう。

若い二人が島から抜け出し、唯一の生存者となる。生き残る人の選び方もいい。燃える島を見て、朝日を浴びる二人のところに、灰が舞い散る。宗教画のようなラストカット。