冬篇リハ(1) 被害者家族

『許された子どもたち』冬篇のリハーサルがはじまりました。
初回は被害者家族役のメンバーが集まり、事件資料を読みました。


「犯罪被害は連鎖的に家族の人生を奪っていくものなのだ。同時に、家族を犯罪に合わせてしまったのは自分のせいではないのか、と遺族は激しく自分を責める」
(滋賀・青木悠君リンチ殺人)


「遺族は人生を楽しんじゃいけないと思う人が多いし、私も最初はそうでした。でも人間だから笑いたい、おいしいものを食べたい、楽しみたいと思う。でも、そうしちゃいけないという気持ちに負けてしまうのです。そのうえ、あの人、家族を亡くしたのにもう楽しんでるよ、と陰でいうような偏見が日本社会には根強い。例えば笑っているところを人に見られたらどうしようと思う」
「時々、妻と娘の声を思い出せないことがある。それは罪何でしょうか?」
光市母子殺害事件

『殺された側の論理』藤井誠二講談社


「家族で怜美の話をすることはないね。ほとんどないというべきかな。息子には、何回かこっちが水を向けた」
「ただ、考えようと意識しなくても、突然怜美の記憶が蘇ることはしょっちゅうあるわけで。怜美が好きだった曲がコンビニで流れたり、怜美が好きだった食べ物が出て来たり、そんなことがきっかけになったり、会社帰りの夜道を一人ぽつぽつ歩いているときに突然、思い出が噴き出すこともある」
「向こうの親から月1回のペースで手紙が来てます。向こうの親も非常に苦しんでいると思う。でも、「だから許します」というほど単純にはならないんです」
佐世保小6女児同級生殺害事件)
『謝るなら、いつでもおいで』川名壮志(集英社



「生きているあの子が支えであり、生きがいであり、宝だったんですよね。だから、夫婦だけの生活になると、どうしてもプラスの方にいけない」
「謝罪して欲しいのは勿論なのだが、現実に謝りに来られるのもつらい。またさらに、謝罪を受け入れることと、少年を許すことは、根本的に違う」「線香をあげてもらうことには納得がいかなかった」
「ええかげんにして!お父さんもお母さんも勝手過ぎる!今までいろんな取材を見ていても、取り上げられるのは悲しんでる親の事だけ。後に残った子どもの事はほとんど触れられていない」
(1995年 岡山県の大学生が18歳の少年3人に暴行を受け死亡した事件)
『少年にわが子を殺された親たち』黒沼克史(草思社



「仲のいい同級生たちから家庭の事情を聞かされるたびに、どうしてうちだけこんなに苦しまなくてはいけないんだろう、どうしてうちだけ不幸なのだろうと思った」
「社長には兄と同じ年頃の息子がいて、兄の死を知っているにもかかわらず、たびたび父の前で息子の自慢をしたそうだ。社長の無神経さに「頭にくる」とよくこぼしていた」
サレジオ高校首切り殺人事件)
『心にナイフをしのばせて』奥野修司文藝春秋社)



「他人からすれば、偶然だとも、妄想だとも思われるかもしれません。医学的に私たちの心の状態を開設しようとする人もいるかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいのです。苦しみのどん底にあった私たち夫婦は、この日を境に温かい心を取り戻して行けたのですから」
(神戸連続児童殺傷事件)
『彩花がおしえてくれた幸福』山下京子(ポプラ社





「多くの方々の励ましと慰めとは反対に、多くの嫌がらせもありました。その数は少なくはなく、5つのうち1つの割合で嫌がらせがあったと思います。郵便や電話などによる嫌がらせですが、その中には何がいいたいのか理解に苦しむものもありました。
最もひどい嫌がらせは、事件発生後まもなくにきたものでした。それは一通のハガキで、人間の首を切った絵を描いていました。」
(神戸連続児童殺傷事件)
『淳』土師守(新潮文庫





人物の背景について話し合い、
キャラクタインタビューを行いました。



午後は
主役の上村侑くんと、冬篇の中心的人物を演じる名倉雪乃さんも参加してのリハーサルです。

名倉さんは演技初経験ですが、役柄についてよく考えていることが伝わりました。